長い間、ありがとうございました!
2015年 10月 07日
ずいぶんとご無沙汰してしまいました。職場先の大学でも新学期が始まり、アネンバーグのホームページからも私のプロフィールが消えました(そういえば、ご報告が遅れましたが、無事博士論文が大学図書館に納入されて博士号学位証明書も郵送されてきました)。USCアネンバーグは私の母校となりました。ここで「私のアネンバーグ生活」も一区切りをつけたいと思います。
長い間、お付き合いいただき本当にありがとうございました。2015年の自分が2010年の自分よりも賢くなったとはまったく思えないけれど(今でも妻のとんちゃんに、毎日のように迷惑をかけて生活しています)「私のアネンバーグ生活」を経て以前より少しだけ忍耐強くなったし、また以前よりは少しだけ世界に大きな希望が持てるようになったと思います。「世界に大きな希望が持てるようになった」というのは「大きな夢を持てるようになった」ということです。
「私のアネンバーグ生活」では、日本にい続けたら一生出会うことの出来なかった素敵な人にたくさん恵まれました。ラリー・グロス先生、アンドリュー・レイコフ先生、トーマス・グッドナイト先生という三人の指導教官たち。帰国して1年以上経った今でも、先生方の講義を受けていたときの光景が目に浮かびます。先生方は最後まで私を諦めなかった。そのことを思うだけで、いつか先生方になんらかのかたちで恩返しをしたいという気持ちが生まれてきます。師匠たちの背中はまだまだ遠いですが、これからも追いかけていきたいと思います。ヘンリー・ジェンキンス先生やマニュエル・カステル先生、サンドラ・ボール=ロキーチ先生をはじめとする他の先生方からもたくさんのことを学びました。
そして、同僚たちの存在。彼ら/彼女らが同僚でなければ、私は絶対に博士号を5年間で取ることは出来なかったです。私がしんどいとき、苦しんでいたときに手を差し伸べてくれた同僚たちのことは一生忘れません。加えて、ロサンゼルスで出会った日本人の仲間たち。世を徹して将来の日本について語ったり、家でバーベキューをやったり、ビーチバレーまでやったりしました。とってもとっても素敵な人たちです。また、現地で生活している日本人の方達にもずいぶんよくしていただきました。博士論文研究などでは多くの研究参加者の方たちに助けられました。彼ら/彼女らの協力がなければ、博士論文を終わらすことはできませんでした。本当に人に恵まれた5年間でした。きっと、しんどいことやツラいこともあったのかと思うのですが、私の記憶力がよくないのかほとんど思い出すことができません。それだけ充実していた5年間でした。USCアネンバーグは、私にとって本当にいいところでした。
大学教員という職業についてからは、周囲から「先生」「先生」などと言われて、ちょっとアイデンティティー・クライシスというかそんなものを感じたこともありました。でも徐々に徐々にですが、新しい人生のステージに慣れつつあります。「私のアネンバーグ生活」は終わってしまいましたが、これからもずっと、何らかの縁があってその土地で出会った人(私の講義の受講生やゼミ生を含めて)との出会いを大切にしながら、仕事を通して少しでもいい世界をつくっていけるよう頑張っていこうと思います。
長い間、ブログにお付き合いいただき本当にありがとうございました。
長い間、お付き合いいただき本当にありがとうございました。2015年の自分が2010年の自分よりも賢くなったとはまったく思えないけれど(今でも妻のとんちゃんに、毎日のように迷惑をかけて生活しています)「私のアネンバーグ生活」を経て以前より少しだけ忍耐強くなったし、また以前よりは少しだけ世界に大きな希望が持てるようになったと思います。「世界に大きな希望が持てるようになった」というのは「大きな夢を持てるようになった」ということです。
「私のアネンバーグ生活」では、日本にい続けたら一生出会うことの出来なかった素敵な人にたくさん恵まれました。ラリー・グロス先生、アンドリュー・レイコフ先生、トーマス・グッドナイト先生という三人の指導教官たち。帰国して1年以上経った今でも、先生方の講義を受けていたときの光景が目に浮かびます。先生方は最後まで私を諦めなかった。そのことを思うだけで、いつか先生方になんらかのかたちで恩返しをしたいという気持ちが生まれてきます。師匠たちの背中はまだまだ遠いですが、これからも追いかけていきたいと思います。ヘンリー・ジェンキンス先生やマニュエル・カステル先生、サンドラ・ボール=ロキーチ先生をはじめとする他の先生方からもたくさんのことを学びました。
そして、同僚たちの存在。彼ら/彼女らが同僚でなければ、私は絶対に博士号を5年間で取ることは出来なかったです。私がしんどいとき、苦しんでいたときに手を差し伸べてくれた同僚たちのことは一生忘れません。加えて、ロサンゼルスで出会った日本人の仲間たち。世を徹して将来の日本について語ったり、家でバーベキューをやったり、ビーチバレーまでやったりしました。とってもとっても素敵な人たちです。また、現地で生活している日本人の方達にもずいぶんよくしていただきました。博士論文研究などでは多くの研究参加者の方たちに助けられました。彼ら/彼女らの協力がなければ、博士論文を終わらすことはできませんでした。本当に人に恵まれた5年間でした。きっと、しんどいことやツラいこともあったのかと思うのですが、私の記憶力がよくないのかほとんど思い出すことができません。それだけ充実していた5年間でした。USCアネンバーグは、私にとって本当にいいところでした。
大学教員という職業についてからは、周囲から「先生」「先生」などと言われて、ちょっとアイデンティティー・クライシスというかそんなものを感じたこともありました。でも徐々に徐々にですが、新しい人生のステージに慣れつつあります。「私のアネンバーグ生活」は終わってしまいましたが、これからもずっと、何らかの縁があってその土地で出会った人(私の講義の受講生やゼミ生を含めて)との出会いを大切にしながら、仕事を通して少しでもいい世界をつくっていけるよう頑張っていこうと思います。
長い間、ブログにお付き合いいただき本当にありがとうございました。
by kanjokyoiku
| 2015-10-07 01:08
| 日常雑記