人気ブログランキング | 話題のタグを見る

ブログ再開しました!


by kanjokyoiku

ハワイ学会の記録

ハワイから帰ってきて一週間+1日。今日書かなかったら永遠に記録に残す機会はない、との思いでブログを。結論から言うと、ハワイ(正確に言うとオアフ島)は私の予想をはるかに超える素敵な場所だった^^私たち夫妻と友人夫婦でワイキキのコンドミニアムに5日間滞在。この年齢になって「5日間ハワイで友人夫妻と水入らずでオフ・・・じゃなくて学会旅行」というのはなかなかできるものではない。私もqualifying examの準備もまだまだあるので「いやいや、怠けていてはいかん!!ハワイ滞在中に5冊!」などと大量に本を抱えていったものの、結局2冊しか読むことが出来なかった(しかも行きと帰りの飛行機で^^;)

前回のアリゾナ・フェニックス旅行記のように時系列的に記録を残してもいいんだけれど、今回は二つの点に絞って書いてみる。一つ目が学会、二つ目が真珠湾。

学会について

学会には大きく分けて二つある。一つは研究者が主体の学会、もう一つは大学院生が主体の学会。前者の学会は研究者と大学院生(主に博士課程の学生)が発表する。後者の学会で発表するのは大学院生(博士課程+修士課程)のみ。今回、ハワイ大学オアフ校で開催された学会は後者の部類の学会だった。私にとってはずーっと前にプリンストン大学で発表して以来の大学院生主体の学会。プリンストン大学で発表した時は立場が修士課程の学生だったということ(バカバカしいことなのだが、大学というカルト的な文化空間では修士課程と博士課程の学生のヒエラルキー格差はすさまじい。しかも、このバカバカしさを気づかない博士課程の院生が腐るほどいる。大学の外から見たらみんなただの学生にしか過ぎないと思うのだが)、そして英語もままならなかったこともあり、あまりいい思い出はなかったなあ。そこで出会った発表者にお礼メールを送ってもほとんど無視されたし。よい思い出と言えばアインシュタインがかつて暮らしていた家を訪問できたくらいか。

閑話休題。で、私たちの発表は学会二日目。かつて私が経験した国際学会では、暗黙のドレスコードみたいなものがあった(基本的に男性はみんなジャケット)。この「学会発表の時はとりあえずジャケットを着てりゃセーフ」という私がこの数年間に体得した経験知が果たしてハワイでも通用するのか、それともハワイでは逆に完全に浮いてしまうのか、というのは学会前の私たち2人にとってはけっこう大きな疑問の一つであった。

到着した初日のレセプションでほかの参加者の服装を注意深く観察してみるとジャケットを着ている人はゼロ^^;この学会を主催しているハワイ大の院生は全員アロハシャツ。偏見の囚われ人として名高い私は「いやいや、とはいってもですよ。発表の時はさすがにジャケット着てくるかもしれないし」などとこれまで体得してきた自らの経験知(という名のド偏見)を信じて、友人とともに発表の当日はジャケットに身を包み会場に勇んで乗り込んでいった。が、

や っ ぱ り ジ ャ ケ ッ ト 人 口 ゼ ロ 。ア ロ ハ シ ャ ツ の ほ う が 多 か っ た (゚Д゚)

・・・・次、ハワイで学会発表するときはとびっきりのアロハシャツで行くことにしよう。アロハシャツというのはハワイで暮らす人々にとってジャケットに相当するらしいし。当日はちょっと浮いてしまったかもしれない・・^^;

また、学会でのオーディエンスの数がどれくらいになるのか事前にはまったく読めなかった。が、ここは観光地ハワイ。自分のパネル発表を終えた院生が「ちょっと暇だからほかのパネルも覗いてみるか」などと殊勝なことを思うと想定するのが大間違い。みんな自分の発表が終われば「マハロ」(ハワイ語で”Thank you”)と言って、ビーチやらショッピングやらに消えてしまうと考えるのが今思えば自然であった。で、私たちのパネルのオーディエンスの数なんだけれど、

わ ず か 3 人 (゚Д゚)

結果、パネル進行を務めるモダレーターの先生(この学会は大学院生主体の学会にもかかわらず、私たちのパネルのモダレーターはハワイ大学の先生が取り仕切っていた)と私たち発表者、そしてオーディエンスを入れて合計8人というかなりアットホームな感じのパネルディスカッションとなった。アットホームな雰囲気ゆえにけっこう活発に議論が出来たこともあって、私自身いろいろと学べることも多かったのはよかった^^この共同研究ペーパーがいつかものになるといいなああ!!

真珠湾

米国に滞在する日本人にとって、どうしても避けられない過去があるとするならば、その一つが真珠湾であることは言を俟たない。日本では原爆の日。こちらでは真珠湾の日。その国の歴史(National history/Nationalized history)は加害の記録よりも被害の記録を記憶しがちなのはどこの国も似たようなものだ(加害/被害の記録しか記憶させない国があるのもどうかと思うが)。

私は今回の学会/旅行で真珠湾だけはどうしても行きたかった。もともとは戦艦アリゾナを見たかったんだけれど、当日券が売り切れていたということで日本が降伏文書をサインした戦艦ミズーリへ。今は真珠湾に停泊しているものの、戦艦ミズーリは湾岸戦争でも活躍したし、米国の戦史を語るうえでは欠かせない大きな役割を果たした戦艦である。この戦艦の甲板にかつてマッカーサーや重光葵・梅津美治郎などが立っていたと思うと、「今、私はまさに世界史的舞台に立っているのだ!!!」という気持ちでついつい身震いしてしまった。

重光らが降伏文書を調印した机が置かれていた甲板も私にとってかなりインパクトがあったけれど、さらにインパクトがあったのが生々しい特攻隊の墜落跡だった。当時19歳だった特攻隊員は戦艦ミズーリに特攻を仕掛けたものの、失敗。戦艦ミズーリには大人が大きなトンカチでドカンと鉄を殴ったあとに出来るくらいの墜落の跡が残った。この19歳の特攻隊員は大人がトンカチで殴ればできるくらいの傷を戦艦ミズーリに負わせるために、命を犠牲にしてしまったのだと思うと悲しさを通り越して怒りのようなものが沸々とわいてきた。さらに、「この特攻隊員が突撃に失敗して亡くなったのち戦艦ミズーリに乗っていた米国人船員は徹夜で日の丸の旗を刺繍し、翌日この特攻隊員を水葬しました」との美談がとうとうと説明されていたり。

私たち(の多く)は死者を利用せずに日常を生きることなどできない。だから、「死者を政治的に利用するな!!」という議論に対しては「おいおい。お前も日常で死者(の存在)を都合よく利用してないかい」と私はついついツッコみたくなってしまう。ただ、今回のケースで一人の特攻隊員の死がかつての敵国である米国でも現在このように利用されていると知ったのは大きな発見であった。墜落跡に向けて黙とう。あの戦争で犠牲になったすべての冥福を祈りたい。

その他・雑感

私は未踏の地に旅行で行く場合にはできるだけ下調べをしていくようにしているのだけれど(その方が旅行の体験が濃厚になるので)、今回はバタバタしてしまって勉強不足でハワイに上陸。その後、観光地を回る前に一夜漬けの勉強のようにガイドブックやインターネットなどで勉強していた。ということもあって、真珠湾以外の観光は完全に人まかせだった^^;ワイキキは日本語(とくにカタカナ)が多くてびっくり。学生の春休みの終わった4月前半にもかかわらず、日本人観光客があまりにも多くてビックリした。また、オアフ島にはパワースポットがいくつかあるらしく私たちもいくつか回ったんだけれど、やっぱりその土地で大切にされてきたものに触れた気がしてとても健やかな気持ちになった。ハワイでは特別な石が聖なる石として大切に扱われているんだけれど、あるパワースポットに置かれている石のなかに日本語の名前が彫られているのを発見してとても悲しい気持ちになった。日本に心無い外国人がやってきて神社やお寺にガツガツと名前を彫って去って行ったらどんな気持ちになるだろう。辛いなあ。

これでハワイの記録はおしまい。LAに帰ってきてから空を見るたびに「なんでこの土地にはハワイのように山がないのだ」とか「ハワイに帰りたい。ううう。」とついつい思ってしまう自分がいたりする。次回行く時までにはもっと歴史や文化を勉強して、さらにハワイで濃密な体験ができるといいなあ^^

ハワイにたくさんエネルギーをもらったのでこれから学期末に向けてラストスパートです!!
by kanjokyoiku | 2013-04-17 00:50 | 日常雑記